恩師に捧げる弔辞例

小田先生。私たちは先生のご計報に接し驚きと悲しみで、なすすべもなく立ち尽くしております。

前回の同窓会で、今年の夏の再会を約束してお別れいたしましたね。

お約束のときが近づき、準備のためにご連絡をとろうと思っていたやさきに届いた、悲しい知らせでした。

このような形でお目にかかることになろうとは、残念でなりません。

 

小田先生が私たちを受け持ってくださいましたのは、小金J校五、六年生のときでした。

宝塚の男役さながらの、快活でさっぱりとしたご気性で、生意気になりかけた私たちでも素直になれる先生でございました。

体育がご専門だった先生は、日常的にトレーニングの時間を設けて、私たちを鍛えてくださいました。

毎朝、あいさつのあとで柔軟体操を、帰りの掃除の前に腹筋や腕立て伏せをご指導くださいました。

虚弱児で運動が苦手だった私は、初めは気が進みませんでしたが、先生の「ずいぶん力がついたわね」の声に励まされて、いつしか基礎体力もつき、楽しく体を動かすことを覚えました。

体育の授業に限らず、何にでもチャレンジする勇気が出たのは、先生が鍛えてくださったおかげです。

「あのころは私も若かったから、自分の理想をあなた方に押しつけていただけだったのでしょうね」と、先生はおっしゃいましたね。

いいえ、先生。

運動が苦手だった私が今でも、自分から進んで楽しくスポーツができるのは、あのとき先生が基礎を作ってくださったおかげです。

本当に感謝しています。

小田先生、たくさんの教えを、ありがとうございました。

先生のお姿はいつまでも私たちの胸に刻み込まれていくことでしょう。

どうぞ安らかにお休みください。

 

教え子に捧げる弔辞例

鈴木学君。

とても元気が良くて、気がつくといつも笑っていましたね。

そんな君の笑い戸をもう聞けないなんて。

先生は突然の悲しいでき事が信じられません。
先生にとって、鈴木君のいちばんの思い出は体育祭でした。

リレーの選手で崎灼戦では大将。

しかも応援団長も買って出てくれましたね。

うちのチームは競技では優勝できなかったけれど、応援はよくまとまっていていちばんよかったと、先生方の問でも評判でしたよ。

スポーツマンはモテるというけれど、君の姿に胸をときめかせた女の子もおおぜいいたに迷いないと先生は思います。
君はクラスのムードメーカーでもありました。
君が「やろう」と言うと、円収初は渋っていても、いつしかみんなが立ち上がった。
君には不思議と人をその気にさせる力があったと思います。
そんな君の命をトラックが奪ってしまうとは・:。
先生もクラスのみんなも残念でなりません。
鈴木君。
これからも君はクラスの一員です。
空の上からみんなのことを見守っていてください。

 

学生時代の先輩に捧げる弔辞例

原田先輩。
こうして黒いリボンに縁どられた先輩のご遺影に対面しても、まだ、現実とは思えないでいます。
「聞いてくれ、少年サッカーチームのコーチになったよ」とうれしそうにおっしゃっていたのは、つい一カ月前ではありませんか。
私がW大学サッカー部に入部したとき、先輩はすでにレギュラーとして活躍されていました。
体力も技術も群を抜いていらしたけれど、中でも先輩のシュ1卜力は飛び抜けていて、pkでは先輩の右に出る者はいませんでした。
今でも、先輩、が引退試合のときに決めた、あのみごとなシュートは私の目に焼きついています。
先輩のサッカーに対する情熱は、就職してからも、衰えませんでしたね。
仕事が忙しくてボールにふれる機会はなくなりましたが、私たちの話題はサッカーが中心でした。
酒を酌み交わしながら、「ほんとうは少年サッカーチlムのコーチになりたいんだ」と語っていらした先輩。
「サッカーは何よりも走り込みが大切だ。
おれも小学生のころから毎日、校庭を何十周も走ってきた。
子どもたちにそういったことを伝えたい」。
その言葉で私は、先輩が努力を積み上げていらしたことを知り、あらためて先輩の偉大さを思ったのでした。
それなのに、「さあ、出番だ。
夢がかなうぞ」というときに、先輩が逝ってしまわれたのか、私は納得できないでいます。
先輩。
サッカー少年たちに、そちらからしっかりゲキを飛ばしてくださいね。
私も先輩にかわって自分にでさることは何か、考えてみます。
原田先輩。
今まで、ほんとうにありがとうございました。
つらいけれどお別れですね。
さようなら。

 

学生時代の後輩に捧げる弔辞例

謹んで相沢俊夫君の御霊に惜別の辞をささげます。
相沢君。
大学のゼミで二年後輩だった君に、年上の僕が、まさかお別れの言葉を述べるようになろうとは。
想像だにしなかったよ。
大学を卒業してから連絡のなかった僕たちが再会したのは、社外のセミナーでだった。
同じ前座の受抗生として十数年ぶりに机を益べて学んだね。
君はマlケティング会社、僕はメーカーと業種は異なっていたが、似た立場の中間管理職同士、職場では口にできない悩み事を相談し合い、大いに励まし合ったものたった。
表同士が短大の同窓生だったという仙然もあり、家族ぐるみのつきあいが始まり、お互いに兄弟同線に信頼できる存在になっていったのだと思う。
定年後の人生は、二人で組んで切り開いていこうと計画をねっていたのに、者の急逝はまことに無念だ。
相沢君。
微力な僕だが、ご辿族にはできるだけのことをすると約束するよ。
どうぞ、心安らかに眠ってくれたまえ。

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